最終回を迎えて

 ※以下、進撃の巨人のネタバレが含まれている可能性があります。

 

 

2021/6/9 進撃の巨人の34巻が発売された。約11年に及ぶ物語が完結を迎え、最後の単行本が世に出されたわけである。(本誌ではとっくに終わってただろ、今更だろ、という声は「俺は単行本で追ってたからいいだろ」と一蹴する)

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最終34巻

 最後の単行本を読み終え、物語が結末を迎えたことが喜ばしくもあり、もう続きを読むことは出来ないのだなという悲しみもある今の感情を形にしたい、ただなんかつらつらと文字を打ちたい、その2つの理由が今この文章を書いている理由である。

 

▪️進撃の巨人との出会い

 今でこそTwitterなどのハンドルネームを「へいちょう」としているくらい進撃の巨人が好きな訳だが、じゃあ最初からずっと好きで読んでいたのかというと実はそうでもなかった。元々進撃の巨人という漫画がある事は知ってはいたが、特に読むきっかけもなく、何となく巨人が出てくるホラー漫画みたいなものを想像しており、立ち向かうというよりは主人公たちがただ走って逃げているようなもの(青鬼みたいな)ものだと勘違いしていた。

 

 そんな中、いつも自分よりも流行りに敏感であった弟がレンタルビデオ店で何やらビデオを借りてきて部屋で見ている。何を借りてきたんだと部屋を覗いて見てみると、何やら金髪の男が裸のデカい男にちゅるんと飲み込まれているシーンだった。「え?」っと思わず声が出てしまったのだが、すぐに「ああ、これがあの進撃の巨人か」と感じ取った。しかし、その時はそこまで進撃の巨人に対して気を惹かれることは無かった。むしろ「そんな面白そうじゃないや」くらいの感想だった。初めて見たシーンがトーマスが食われるシーンではなく、巨大樹の森で兵長が無双しているシーンだったらまた違ったのかもしれないが。

 

 そしてその後、弟が進撃の巨人にハマっていった。アニメを見てそれでも満足ができず漫画を買い集めだした。とりあえず5巻までを買ってきたらしく、机の上に積んであったのを見て、何の気なしに手を取って読み始めてしまった。

「うわ、絵下手だな」

それが新鮮な最初の感想だった。BLEACHとかがすきで読んでいた頃だったので漫画は絵が上手いものだと思い込んでいた自分にとって1巻の絵は衝撃的だった。人の横顔がなんか平面だし、ただ荒いし、大丈夫なのか…?と思っていたのだが、それでも何故か読む手が止まらなかった。いつの間にか2巻、3巻と読み進めていき、遂に5巻まで全て読み終わってしまった。今まで別に興味がなかったはずだったのに1度読んでみたらその評価が180°変わってしまっていた。絵は下手かもしれないが何か引き込まれるものを感じたと言わざるを得なかった。

 こうして進撃の巨人への意識が大きくなって行き始めた。

 

▪️そしてファンへ

 その頃はまだ規制も緩く、YouTube進撃の巨人と調べるとアニメの切り抜きが普通に見れていた。ちょっと興味本位で調べてみたらすぐに見つかったので、どうせならと見始めていた。

 進撃の巨人のアニメを見ている方ならご存知であると思うが、これは本当にあの原作と同じなのか?と感じてしまうくらい絵が綺麗である。「あれ?お前こんな顔だっけ?」と頭をひねることが何度もあったものの、汚いものを見るより綺麗なものを見る方が人間嫌がらないように(多分)、順応していった。そしてアニメ進撃の巨人の真骨頂とも言えたのが、立体機動でのアクションシーンである。漫画では静止画で立体機動を描かなくてはならないということで、迫力に違いがあるのは仕方の無いことなのだが、それにしたってこの迫力はなんだと度肝を抜かれてしまった。こんなアニメ見た事ないぞとまたしても進撃の巨人に引き込まれていってしまった。そんな折に、先程も話したリヴァイ兵長による巨大樹の森での無双シーンがアニメで描かれる。あれはもうダメだった(語彙力の低下)。あんなん好きになる他ないだろと感じざるを得ないほどにかっこよかった。マジで巨大樹の森のシーンは全人類見た方が良い。

 こうして所謂「推しキャラ」も見つかってしまった。こうなったらもう進撃の巨人という漫画にどっぷりとハマっていく他はなかった。いつの間にか漫画を自分で買うようになり、アニメもリアタイで追いかけ、どんどん好きの沼に入り込んで行った。いつの間にか弟よりも進撃の巨人に詳しく、またファンになってしまっていた。

 

▪️最終回を迎え思うこと

 そして遂に進撃の巨人が最終回を迎えることが発表された。そりゃ始まったのだから終わるのも当たり前であり、読み進めていく内に物語の流れや、今全体のどの辺にいるのだろうという察しもついてくるので驚きと悲しみで膝が崩れるといったことにはならなかった。むしろ、どんな最終回を見せてくれるのだろうとワクワクすらしていた。

 しかし今、最終回を迎え全ての進撃の巨人を読み終わった後の感情はワクワクではなかった。別に結末がつまらなかったとかそういう意味では全くなく、どこか現実味がなかった終わりというものが形あるものとして見えてしまったため…のような気がしている。もう発売日にコンビニ等で進撃の巨人が並んでいることはないし、Twitterでネタバレコメントが流れてくることも無い。そう考えてしまうとどうしても明るい、前向きな気持ちではいられなかった。いや、今もそうなので過去形ではなく現在進行形で前向きな気持ちでいられなくなっている。

 漫画の最終回というものは今まで生きてきて何回も見てきた。BLEACHだったりハイキューだったりめだかボックスだったり好きな漫画がたくさん最終回を迎えていったが、こんな感情にはならなかった。改めて進撃の巨人という漫画の凄まじさと自分ののめり込み度を再確認した。これほどまでに名残惜しく感じてしまうこと、虚しい気持ちになってしまうこと、何より今こんなよく分からない下手な文章を勢いで書き始めていることがその証明でもある。「小さな絶望の積み重ねが人を大人に変えるのです」

と某1級術士も言っていたがまさにそれを実感した。小さな絶望というには些か大きすぎる気もするが意味は同じだろう。始まりがあれば終わりがあるのは当然だし、今まで楽しませてくれた思い出と記憶が消える訳でもない。(別に自分がアッカーマンというわけではなく)

 この絶望を糧にして、また日々を生きていこう。歩み続けていこうと気持ちを切り替えて行きたいと強く思う。

 自由を求めるため…とはまた違うが、それでも自分が前に進み続けることを止める理由などない。進撃の巨人のファンなのなら尚更だ。

 

 諫山先生本当に今までありがとうございました。

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